ブラジルの年越しそばパン

大晦日に食べるものといえば年越しそばである。
といってもブラジルにいると、本格的なそばを食べることはできない。
今日スーパーマーケットのパン売り場で、いつも何気なく見ているものが目に入った。

pão sovado、読み方はポン・ソヴァードという。
sovar ソヴァルという動詞の過去分詞・形容詞形である。
「ソバったパン」という意味だ。
ということは、こいつは年越しそばの代わりにならないか?

ポルトガル語辞典でsovarを見ると、他動詞[パンなどを]こねる、と書いてある。
ちょっと待った、パンを作るときにはどんなパンでもこねるのではないか?
手ごろで便利なWikipediaをみると、フランスのプロヴァンス風パンのことを意味すると書いてある。
何でもプロヴァンス風パンを作るときには、普通のパンよりしっかりこねるために、この名前が付いている。
本当かどうかすぐに判断付かないが、そういうことか。

うどんはこねるが蕎麦は打つ、といったイメージが頭にあるのだが、本当にそうだろうか。
手打ちうどんというものがあるが、それはおいておく。
蕎麦を作るときは、念を入れてこねるかどうかわからないが、この言い方を真似ると、soba sovada ソバ・ソヴァーダとなるはずだ。

年越しそばはどうして蕎麦なのか、うどんではいけないのか?
誰でも一度は疑問に思う問題を検索してみた。
いろいろあるが、
1. 蕎麦は細長い -> 長寿を祈る
2. 蕎麦はブツブツ切れる -> 一年の苦労や借金を切り捨て翌年に持ち越さない
という理由付けがある。
1と2がクロスしてしまったらどうするのか、命がブツブツ切れて、苦労や借金が長続きするぞ、と言いたくなるがまあ良い。

1に関して言えば、うどんも細長いぞ、と反論できるが、2については、うどんには当てはまらない。
なるほど、だから年越し蕎麦なのか。
と思ったら、年越し蕎麦の次に出てきたのが、「年明けうどん」である。
さぬきうどん振興協議会が提唱しているというから、節分の恵方巻きと同じ匂いがする。

google.com.brでpão sovadoを検索すると、すぐに写真が出てくるのでどんなパンかわかる。
googleでは味までわからないから、一言説明すると、割と緻密で少し甘い味のついたパンである。
全然年越しそばと似通ったところはない。
ブラジルの年越しそばパンは、絵に描いた餅であった。
そういうものがあるのかいと思ってこの駄文を読んでくれた方、時間を無駄にしてごめんなさい。

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踊れ、喜べ、幸いなる放校よ

jubileu 男性名詞 1.[カトリック]全贖宥、聖年、大赦の年 2.[ユダヤ教]50年節、ヨベルの年 3.金婚式、在職50年記念
jubilar 他動詞 1.喜ばせる、歓喜させる 2.教員を恩給付きで退職させる 自動詞 大喜びする

misericórdia 女性名詞 1.慈悲、憐憫、同情、仁慈 2.救貧院

2015年12月8日、フランシスコ・ローマ教皇はJubileu Extraordinário da Misericórdiaを宣言した。
そして普段は開かずの間となっている?Basílica de São Pedro、「聖ペテロ大聖堂」の扉を開けて人々を招き入れる映像がニュースで流れた。

このポルトガル語の’Jubileu’ジュビレウという単語が気になって書いているわけだ。
冒頭に書いたポルトガル語の日本語訳は、白水社の「現代ポルトガル語辞典」から引用した。

日本語訳を見ると「50年周期」を連想させるのだが、実際はどうかと調べてみると、25年周期で開かれていて、これまで最後に持たれたのが西暦2000年の”O Grande Jubileu” 「大聖年」であった。
第二次世界大戦後5年の1950年は”O Jubileu do grande retorno e do grande perdão”「大いなる帰還と大いなる赦しの聖年」と、世情を反映したテーマとなっている。

2015年のはextraordinárioというから、臨時・特別の設定となっている。
最近の憎悪に満ちた国際情勢を危惧した教皇あるいはカトリック総本部の意向なのだろう。
今回の”Jubileu Extraordinário da Misericórdia” 「いつくしみの特別聖年(注:カトリック教会のサイトでの正式な呼び方に修正した)」の期間は、2015年12月8日から、2016年11月20日までとなっている。
http://w2.vatican.va/content/francesco/pt/apost_letters/documents/papa-francesco_bolla_20150411_misericordiae-vultus.html
がバチカンの正式発表であるが、急にあたふた決めたわけでなく、2015年復活祭の次の日曜日前日である4月11日の日付となっている。

モーツァルトの曲に、最後の楽章でアレルヤを連唱する「なんとかジュビラーテ」というのがあったな、ときどきOttavaで聞いたことがあるぞ、と調べたことがあった。
思い出してみる。

《エクスルターテ・ユビラーテ》(ラテン語:Exsultate, jubilate)KV.165 (158a) は、モーツァルトが1773年に作曲したモテット。日本では、第1楽章の歌詞から『踊れ、喜べ、幸いなる魂よ』などの訳題が使われることもある(ja.wikipedia.orgから)。

辞書にある訳語もモーツァルトの曲も、意味は「嬉しい、喜ばしい」こと、陽性で肯定的な意味しかないのである。
磐田にはその名もJúbilo(歓喜)という名のフットボールチームがある。
問題なのはここからだ。

息子がブラジルの大学に入学した時に持ってきたガイダンスの中に、今手元にないから詳しいニュアンスはわからないのだが、一応ここでポルトガル語で’jubilação’といっておくできごとについての説明があった。
読んでみるとこれは退学とか放校についての条文ではないか。
「9年経ったらジュビラード」とか書いてある。
日本語に訳すと宣伝文句みたいで語呂は良いが、内容は大変だぞ。

オンライン辞書で調べると次の意味が書いてある。
fazer perder ou perder o direito à matrícula em curso, ger. universitário, devido a excesso de faltas, sucessivas reprovações etc.
大学生用語(俗語)で、出席不足・単位不足のために学籍を抹消する・失う、という意味だ。
「教員を恩給付きで退職させる」という本来の意味から、「学生を単位不足で退学させる」と意味派生したのだろうか?
思いっきり皮肉が効きすぎているのではないか?
Presépio