ジョギングは朝と夜どちらが良いか

南半球のこの季節、夕方というより夜の領分の午後8時になって公園にジョギングに出かけると、今日はブルームーンの満月がもうかなりの高さで輝く。
テレビのニュースやポータルサイトでも今日は Lua azul 青くなくても青い月、と盛んに説明している。
ブルームーン自体、英語の慣用句で珍しいできごとという意味らしいから、ポルトガル語にもともと存在しない表現であり、最近使うようになった新語であるようだ。

満月の明かりはそれだけでもかなり明るいので、今日ばかりは公園内の街路灯が全部消えていたとしても、歩いたり走ったりするのに支障はないと思う。
ブルームーンを見ると幸せになるというのなら、軽く1時間ばかり満月の光だけを浴びて歩いたらどれだけ幸福感が増すことだろうか。
今日はこの辺りが停電になっても構わない、いや積極的に停電してくれ、と不謹慎にも思うのだ。

しかし夜のジョギングはどうして朝より辛いのだろうか。
ブラジルの冬にあたるこの時期のこの時間、公園内の電光温度計は20度とか21度を示している。
暑すぎも寒すぎもしない、涼しい快適な温度だから、温度はあまり関係なさそうだ。
朝のジョギングとどこが違うのか?
ブルームーンの光を浴び、のたのたジョギングしながら考えた。

朝ジョギングに出かけると言っても、夜明け前の真っ暗な時間ではない。
日の出のせいぜい15分前に暗い家を出ると、外は明るさを増す最中だ。
日の出前後の新鮮な光のもとで何を見ながら走るか。

いつも出会う人を認めて Bom dia を言うために、向こうからやってくる人を観察しなければならない。
朝ウォーキング・ジョギングの習慣が長かったからという理由もあるが、夜より人出の少ない朝の時間帯の人々はより馴染みがある。
服装にこだわらない傾向が高い。
平均年齢が高い。
いつも同じ人が同じ時間帯に見られる習慣性が高い。

通りすぎてから後ろ姿もずっと見たくなるような女性がいる。
朝も夜もたくさんいる。
変なおじさんと思われると困るので見たくても振り向かないが、周りに人がいないようだったら振り返って見ることもある。
腰から脚に続く美しい曲線を見て、素直にうれしくなる。
夜は週末とか遅い時間でない限り、朝より人出が多いので恥ずかしい真似はできない。
しかも夜は二人で手をつないてウォーキングするようなラブラブ度が高い。
こっちは一人だ。

人を観察しない時には、刻々と明るさを増す空の色とか雲の形を観察する。
雲を見るのは飽きないが、すっかり朝となり太陽も高く上がった、雲ひとつない何の変哲もない空でも退屈することはない。
走ってゆくにつれて公園の樹木の葉が青い空を隠しながら刻々と形を変えるのを飽きずに見ながら走る。
視線は地平線よりはるか高く上がる。

これが夜のジョギングには決定的に欠けているのだ。
空の色、雲の形、樹の葉の影など、地平線より高いところにある美しいものが全く見えないのだ。
本質的にランナーでない私はフォームを気にしながら禁欲的に走ることなどできない。
いつもキョロキョロ見回しながら走っているのだ。

夜はどうだ。
地平線より上に見るものはない。
味気のない電灯が連なるところなど、電灯の光が眩しいほど強いのに、その周りには光を受けるものがないので、数メートル先で暗く虚しく消えていく。
他に見るものもなく、夜は足元に気を付けなければと、視線は足元に落ちる。
顎が下がり、肩が縮こまり、猫背で走る私が見える。
「フォームはどうした」と励ましながら、その瞬間には腕を後ろに引き頭を引き上げるのだが、地平線より高いところに何も見るものがないので、すぐにフォームのことなど忘れてまた縮こまってしまう。

まあこうして夜のジョギングがなぜ朝より辛いか、理由がわかったのだから、せめてジョギングを1日おきくらいまで頻度を増やして体と頭を慣らせば解決も遠くないと期待している。
次の2018年のブルームーンを待つまでもないだろう。

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