サマータイムと幸福の条件

今日は2015年2月21日、2月第3土曜日である。
当然明日は2月22日、2月第4日曜日になる。
2008年9月8日政令第6558号(DECRETO Nº 6.558, DE 8 DE SETEMBRO DE 2008.)
を見ると、
ブラジルのサマータイムつまり夏時間の実施規則は、

  • 夏時間入り – 10月第3日曜日の零時
  • 夏時間明け – 翌年2月の第3日曜日の零時
  • 夏時間は通常時間より1時間進められる
  • 夏時間終了日曜日がカーニバルの日曜日と重なる場合は、夏時間終了は次の日曜日となる

と書いてある。

夏時間は春分の日の1か月後に始まり、秋分の日の1か月前に終了するので、だいたい夏至を真ん中に挟む4ヶ月継続するように作られているのだ。
2015年は上4番目のカーニバル日曜日条項が適用されるため、夏時間終了は2月第4日曜日になったのである。

というわけで今日土曜日はサマータイム最後の日なのだ。
夏がいくら暑くても、夜多少寝苦しくても、夏が去ってしまうのは寂しい。
夏が去る時に感傷的になる曲は、何といっても The Summer Knows をあげるが、Summer 68も捨てがたいと思うのだ。
きっと他にも私の知らない曲がいっぱいあるだろうから、それはどうでも良い。
異論は認める、ということだ。

サマータイムという曲は、ガーシュイン(George Gershwin)がオペラ、「ポーギーとベス(Porgy and Bess)」のために作った曲である。
1935年のことである。
作詞は DuBose Heyward となっている。
ビリー・ホリデイが歌ったものを最初に聞いたので、ブルースかジャズの曲だと思っていた。
その中にこんな文句がある。

Your daddy’s rich
And your mamma’s good lookin’
So hush little baby
Don’t you cry

子守唄なので幼子に、「父さんは金持ちで母さんは美人だよ、だから泣くなよ」、と歌っている。
赤ん坊は道理がわからないから、適当な嘘でごまかしていると疑えなくもない。

半分ジャズと言ってもいいガーシュインだけではなく、クラシック・オペラの本場イタリアのドニゼッティ(Gaetano Donizetti)による曲でおんなじ文句を聞いたので、これを書いているのだ。
「ポーギーとベス」の約100年前のことだ。
ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」(1832初演)から「私は金持ち、あんたは美人」はこう歌う。

第2幕 二声のバルカローレ Act 2 Barcarolle for Two Voices
Io son ricco e tu sei bella / “I’m rich, and you are beautiful” – Dulcamara, Adina, Scene 1
ドゥルカマラはインチキ薬売りだったか。
アディナに歌う。

Io son ricco, e tu sei bella,
io ducati, e vezzi hai tu:
perché a me sarai rubella?
Nina mia! Che vuoi di più?

イタリア語はわからない。

私は金持ちあんたは美人
私はドゥカティ(金)持ち、あんたは愛嬌持ち
どうして私の望みに抗うの
可愛い娘よ、もっと何が欲しいの?

「愛の妙薬」も「ポーギーとベス」も舞台を見たことはない。
でも詞から伺えるのは、19世紀でも20世紀でも幸福の条件は同じ、男は富を持ち、女は美を持つことを求められる。
普遍で定型的な幸福は100年たっても1000年たっても変わらないのだろう。

救いといえそうなのは、「ポーギーとベス」のクララは美しいか醜いかわからないけれど、漁師ジェイクはものすごい金持ちではあるまいし、劇中嵐で遭難死してしまうし、「愛の妙薬」に至っては、口達者な詐欺師まがいのドゥルカマラが結婚式の余興でアディナに歌ったということなので、両方とも真実を反語的に語っていると思えばよいのだ。

男は適当に小金があって、女はそこそこ可愛ければ大部分の男と大部分の女は、十分な幸せを楽しめるはずだ。
それもなかったらどうするって?
上を見るときりはないが、試しに下を見てみればそんなに捨てたもんじゃない、と思えるような心が大切なんだよ。

今晩は1時間余分に寝られるという、ささやかな幸福を味わうとするか。

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Oh Be A Fine Girl, Kiss Me

クラシック音楽のリクエスト番組 Ottava Salone 金曜日は、ご本人によると星のソムリエをめざしている森雄一さんのナビゲートである。
そのため星とか宇宙とかの話題が多い。

今日聞いていたら、「カノープスは赤い」というあるリスナーの方のメールが読まれて、そんなはずはない、と疑問に思った。
夜になれば実際に見ることができるから即座に疑問解決するのだが、あいにく午後から曇ってきた。

いつものようにWikipediaでカノープスを見る。
「カノープス(Canopus)は、りゅうこつ座α星(α Carinae)、りゅうこつ座(Carina)で最も明るい恒星で、シリウスに次いで全天で2番目に明るい恒星である。」
要約すれば以上のとおりだ。

トヨタ・カリーナという車がある。
ブラジルにはCarinaという女性名がある。
竜骨と言ったら船の部品ではないか。
Carinaさんとは、竜骨さんなのか。

家の電球は、2001年の電力不足の時から、ほとんどは電球ソケットにつける蛍光灯となっている。
電球型蛍光灯か、蛍光灯型電球かどちらが正式名かわからない。
一口に蛍光灯といっても、電球に書いてある色温度が異なっていると光の色が違うことくらいは経験で知っている。

そこでカノープスの温度だ。
表面温度7500Kとある。
太陽は6000度という昔からの記憶がある。
表面温度は5778Kとある。
カノープスは太陽より青っぽいはずだ。

さらに読んだら説明があった。
「高度の低さから赤みがかって見えることから、中国の伝説では寿老人の星、南極老人星とされ、この星を見た者は長寿になるという伝説も生まれた。」
南半球に住んでいる人は、1万年くらい長生きしそうである。

カノープスは赤緯-52度、ということは、90マイナス52の北緯38度以北では決して見られないことになる。
東京で一番高度が高い時に地平線上2度、これでは見る機会は非常に少ないであろう。

星図を見るとシリウスもカノープスも赤経約6h30mで、だいたい同じ時間に南中、ここは南半球だから北中となるのか?
面倒を避けるために、慣用語ではなく今調べた正式用語、「正中」する。
うちは大体南緯19度、シリウスの赤緯は-17度なので、正中するとシリウスは頭上真上に見える。
そこから少し南側に下がるとカノープスがみつかる。

恒星のスペクトル分類の項を見る。
太陽の属するG型の色は黄色、カノープスの属するF型は黄白色とある。
やはりカノープスは太陽より青白っぽい。

スペクトル型配列の覚え方である。
見た記憶が無いのだが、昔は試験に出なかったのだろう。

英語では、
Oh Be A Fine Girl, Kiss Me
シェイクスピアが4世紀前にこう言ったと言われたら信じてしまいそうだ。

一方日本語ではどうか。
「お婆、河豚噛む」(オ、バ、ア、フ、グ、カ、ム)という覚え方があるという。
比較しても仕方ないのだが、英語版と比べて品がない。

晴れたので庭に出て空を見上げた。
白いシリウスと同じように、やはりカノープスは白かった。
厳密に言えば、シリウスはA型、カノープスはF型だからシリウスよりは黄色っぽいはずだ。

これでまた1年長生きするぞ。

ブラジル通貨・十字軍

日本は十字軍の仲間入り? イスラム国のいう「十字軍」とは何か?

BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり 2月3日(火)18時3分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150203-00010003-shincho-int

今回のイスラム国の日本人人質の法外な身代金請求から惨殺に至る事件では、日本の安倍首相のアラブ圏人道援助の発表のタイミングややり方が悪かったとか批判はあるものの、起きてしまったことである。
いつも影のように目立たないようにしていれば変な奴に目をつけられることもなかったと言えようが、授業中分からない問題があって教師に当てられないように、前に座っている人の背に隠れるように体を低くし続けるわけにもいかないだろう。
いつかは当てられて、自分の考えを発表しなければならない時が来る。
もう泣き言を言っても始まらない。

ブラジルにいたらイスラム国の隠れメンバーから拉致されたり街頭無差別攻撃に遭うという極めて確率の低い危険より、銃を持った強盗に街路で襲われる危険や、運転中に対向車線の追い越し違反トラックと衝突する危険のほうがずっと大きい。
面倒な事にはなったが、いつも犯罪や交通事故に対して心がけている注意を忘れないように続けるしかない。
会社命令のためいやいやながら海外駐在している人にとっては、要らぬ災難が降ってきたと思えるかもしれない。

十字軍という言葉を聞くと、古い音楽ファンである私は、以前にジャズ・クルセイダーズ(The Jazz Crusaders)と名乗っていたザ・クルセイダーズ(The Crusaders)を思い出す。
「ジャズ十字軍兵士団」とは大層な名を名乗ると思ったが、ジャズ、フュージョン、ソウル、ポップ(Wikipedia英語ページ)にわたる分野で活躍した。
女性シンガー、ランディ・クロフォード(Randy Crawford)をサポートした1979年のストリート・ライフ(Street Life)はいつ聞いてもぞくぞくする名曲で忘れられない。
歌詞はタンゴの曲にありそうな悲哀、刹那感を帯びているが、演奏と歌は極めてクールで格好良い。

そういえばもっと昔フォーク・クルセダーズというのもあったなあ。
「帰って来たヨッパライ」のテープ早回しはビートルズなんかの影響だったのだろうか。

もう一つの十字軍はブラジルのものだ。
1986年のデノミネーションで、ブラジルの通貨はそれまでのクルゼイロからクルザードになった。
記録を見ると、1000クルゼイロ=1クルザード(Cr$1.000 = Cz$1,00 ポルトガル語数字表記に従う)の比率であった。
Cruzeiro(南十字星)からCruzadoとなったのだが、Cruzadoは形容詞で「交差した」、名詞で「十字軍兵士」という意味だ。

Google Tradutorにかけてみた。
Traduções de cruzado
adjective
crossed = cruzado
criss-cross = cruzado, com linhas cruzadas, rabugento
mongrel = híbrido, mestiço, cruzado, atravessado
noun
crusader = cruzado

最後の名詞形に、クルセイダー=クルザードと書いてある。
インフレと戦う十字軍兵士であったはずだが、残念ながらインフレには勝てずに、その通貨名ははるか昔に使われなくなった。

勇ましいキリスト教徒というとサン・ジョルジェ(po. São Jorge)、英語では Saint George である。
名前のとおり聖人である。
いろいろな国、地域、都市の守護聖人になっている。
イングランド、ポルトガル、ジョージア(国)、リトアニア、カタルーニャ、セルビア、モンテネグロ、エチオピア、ロンドン、バルセロナ、ジェノバ、モスクワ、ベイルートなどが、Wikipediaポルトガル語版のリストにのっている。
セイント・ジョージの赤い十字は連合王国の国旗の一部である。

兵士、兵器工、旅人、農民の守護聖人でもある。
新しいところではブラジル陸軍騎兵隊、フットボールチームのコリンチャンス(Sport Club Corinthians Paulista)の守護聖人となっている。
白馬にまたがり槍を持ち、竜退治をしている姿がよく知られている。

3世紀のローマ帝国軍人、殉教者であったサン・ジョルジェは十字軍とは何の関係もない。
プロフェタ・マオメ(po. profeta Maoné)つまりムハンマドは6-7世紀に現れた預言者である。
十字軍が編成されたのは11世紀から13世紀である。
この三者に接点はない。
しかしきっと勇ましいサン・ジョルジェのイメージや、赤い十字は十字軍の旗印に使われたことと思う。

引用記事によれば、十字軍は、2000年に当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世(po. João Paulo II)が謝罪したという、キリスト教の負の遺産というべきものである。
今から8世紀から10世紀前に十字軍は、ローマ法王の意を汲んで、おおむね平和に暮らしていたイスラム教勢力下の聖地に攻めこんで、十字軍国(en. Crusader states)を打ち立てようとしていた。
そして現在に至りイスラム国(en. Islamic State [of Iraq and the Levant])というものが勃発した。
十字軍や、異端審問のはびこる暗黒時代とも例えられるキリスト教中世の再現と言ったら、歴史の皮肉だろうか。

イスラム国が悲惨で狂気的であるのは、敵や異教徒の捕虜や人質の扱いもそうなのだが、同じ宗教基盤を持ち、普通なら信頼を寄せてくれる仲間になるはずのイスラムのスンニ派の平和な住民であっても、自分らの意に従わないものは容赦なく蹂躙する恐怖支配を根本としている点である。
少年がフットボールの試合を見たから銃殺とは尋常でない。
イスラム国のめざす7世紀のイスラム教創成期とは、そんな陰鬱な時代だったのだろうか。

調べたらクルセイダーズはオリジナルメンバー二人が相次いで2014年に死去した。
実質的活動停止状態と思われる。

ブラジル通貨クルザードはバンドのクルセイダーズよりずっと短命で、1989年に千分の一デノミネーション(Cz$1.000 = NCz$1,00)をしてクルザード・ノーボ(cruzado novo)となり、それも1990年の等価デノミネーション(NCz$1,00 = Cr$1,00)で以前の名前のクルゼイロにとって替わられ、以降この呼称は使われなくなった。

十字軍、一見勇ましく格好良いが、刺を持ち軋轢を生む宗教的偏狭なこの単語が忘れ去られる世界になってほしいものである。

節分=カーニバル説

冬と春を分ける節分である。

インターネットクラシックラジオ Ottavaを聞いていたら、プレゼンターのピアニスト本田聖嗣さんが、中南米を含む欧米の謝肉祭つまりカーニバル(Carnaval ポルトガル語読みではカルナヴァル)と、立春前の節分とは同じようなものでないかと、大胆な説を唱えていた。
単に受けを狙っているのではない。
本田さんはフランス生活が長いため、フランスや近隣国でカーニバルを過ごしていたであろうから、実際に節分と似た点を感じたのであろう。
でも、西洋のクラシック音楽と東洋の節分の接点を無理やり求めた結果かもしれない。

現在私たちが聞くクラシック音楽は、欧州のキリスト教社会で生まれたものであるから、東洋の作曲家の作品を除いたら当然「節分」の曲なんか無い。
豆をまく習慣とか、最近の節分の風潮である恵方巻きなんぞ、クラシック音楽の世界には見当たらない。
鬼火とか、豆も種であるので豆まきならぬ種まきの曲をカーニバル関連曲と共に紹介していた。

Mardi Gras(マルディ・グラ)フランス語で「油まみれの火曜日」という意味なんだそうだ。
ポルトガル語だったら terça-feira gorda、スペイン語だったら少し似ている martes gordo となるのだろうが、そのようには呼ばれず、マルディ・グラの日はブラジルの暦ではカーニバルの火曜日 terça-feira de carnaval のことである。

世界的に有名なマルディ・グラは、多分フランスのものではなく、アメリカ合衆国のルイジアナ州ニュー・オーリンズ(New Orleans – Louisiana)である。
まあフレンチ・クォーターとかがあってフランスの伝統の息づいた街であるから、別に不思議ではない。

米国に住んでいた友人から昔もらった絵葉書の写真のせいで、ニューオーリンズのマルディ・グラといったら、二階のバルコニーから陽気な女性たちがパンティーをずり下げてお尻ペンペンしている情景しか浮かばないので困る。
最近はマルディ・グラの画像を検索しても、そんな写真が見られないのは残念である。
お尻だったらブラジルでいくらでも見られるからいいか。

ブラジルのカーニバルというと、お尻露出ほぼ全開で、聖なる要素は見られないとはいえ、キリスト教移動祝日の一つであり、天体の月の運動に応じて毎年日付が変わる

ニューオーリンズのマルディ・グラの下のリンク先ページは、10年先までのマルディ・グラ、つまりカーニバルの火曜日がすぐにわかり便利である。
http://www.mardigrasneworleans.com/when-is-mardi-gras.html

通常は2月に起きるが、10年間に2回、2019年と2022年は3月に入り込む遅い日付になる。

さて、表題であるカーニバル=節分説である。
立春前の節分は、一番寒い季節からこれから気温が上がってゆく春の訪れに、福は内鬼は外と、幸運と厄除けを願う。

北半球の春分の日の次の満月の次の日曜日、と定められる毎年の復活祭、これはキリストの復活と同時に春の始まりで収穫を願うめでたい祝日である。
復活祭に先立つ日曜日を除く40日、つまり四旬節は敬虔なキリスト教徒にとっては贖罪と内省の日々であるので、その前のカーニバルは(北半球では)春に先立つ節制にこれからはいるというけじめの日であるといえる。
その意味で節分とカーニバルに共通点を見出すことができそうである。

それを言うならブラジルでは、もちろん文字通り2カ月以上も休んでいるのではなく気持ちの問題ではあるが、12月のクリスマスから続いたなが~い休暇期から覚醒して活動期に入るという、夜明け的な意味の季節の分け目と考えても良い。