似て非なるユーロ貨とレアル貨

BBCのホームページを見たら、おなじみの硬貨の写真がある。
ブラジルの経済が最近湿っているとかの記事だろうか、と思ってよく見たら、1ユーロ硬貨だった。
背景の地図はマドリーとの地名が読める。

CapaBBC

私はヨーロッパへ行ったことは一度もない。
だからユーロ硬貨や紙幣を手にしたこともない。

どんなに1レアル硬貨と似ているか確かめてみたく、欧州中央銀行とブラジル中央銀行のサイト、
http://www.ecb.europa.eu/euro/coins/common/html/index.en.html
http://www.bcb.gov.br/?MOEDAFAM2
を見た。

common_1euroMoeda1real

ユーロ硬貨で面白いのは、コモンサイドつまり共通面と、ナショナルサイドつまり各国面があり、ナショナルサイドは加盟国がルールにのっとった上で好きなデザインを付けて、ユーロ硬貨のバラエティを増やしている。

1ユーロのコモンサイドと1レアル、両方の硬貨で似ている点は、外側が金色の輪、内側が銀色面の嵌めこみ仕上げであること、1の数字の形と傾きぐあいである。
しかし似ているのはそこまでだ。

1ユーロ硬貨 1レアル硬貨
直径 23.25mm 27.00mm
厚み 2.33mm 1.95mm
重量 7.50g 7.00g
組成 (心)銅ニッケル
(輪)ニッケル真鍮
(心)ステンレス鋼
(輪)青銅被覆鉄鋼

1レアル硬貨の方が大型だが薄く軽いことがわかる。
特筆すべきは、その素材の違いである。

ブラジルでは銅の盗難が多発する。
人気(ひとけ)のないところにある電線・電話線などが、電柱や地下からごっそり盗まれることがあるので油断できない。
ユーロ硬貨に使用される銅がレアル硬貨には使われず、単価の安いと思われる鋼を使う理由は、きっと銅泥棒対策だと思う。
昔のインフレ時代だったら、死蔵した硬貨の金属としての価値が、日々下がる額面価値を上回れば、鋳溶かして地金にして売れば儲かったことになる。
本当にそうした人がいたかどうかは知らない。

ブラジルに現在流通する最高額面硬貨はこの1レアルであるが、ユーロ硬貨には2ユーロ硬貨がある。
realの複数形はreaisなので、2レアル紙幣には”2 REAIS”と印刷してある。
2ユーロ硬貨に刻印されているのは”2 EURO”であって、”2 EUROS”ではない。
今までeuroの複数形はeurosだと思っていたのだが、これは間違いだったのか。

欧州連合は、euro と cent について単複同形と定めているそうだ。
これによって各国語で異なる複数形の作り方によってユーロ及びセントの複数形が異なってしまうことが避けられる。
でもポルトガル語Wikiをみると、常用の呼び方では各国語の文法に従って良いとしている。
ということはeuroの複数形はeurosでも間違っていないことになる。

そして、centの単数及び複数形はポルトガル語でcêntimo, cêntimosとなり、ブラジルレアルのcentavo, centavosにはならない。
表記法もブラジルレアルとは異なり、レアルだったら R$ 1.234,50 となるところが、ユーロだと 1 234,50 € と表記する。
ポルトガル語と日本語では数字の小数点と桁区切り点が逆になる、つまり小数点=コンマ、桁区切り=ピリオドとなって、パソコンで両言語を使うときにけっこう面倒である。
そしてユーロのポルトガル語表記では、桁区切りのピリオドは使わず、スペースとなる。

1ユーロ硬貨と1レアル硬貨の違いは、大きさや複数形や百分の一補助通貨だけではない。
肝心の両硬貨の価値比較であるが、今日現在1 euro = 3,089 reais (ポルトガル語数字表記のため、三千八十九でなく、三点〇八九)となっている。

写真でいくら似ているからといって、日本で昔一時期問題になった500ウォン硬貨を使った偽造500円硬貨事件のように、レアル硬貨をユーロ硬貨の自動販売機で使うことなど絶対に無理だ。
寸法と重さが著しく違いすぎる。
ヨーロッパのど田舎を旅行して、爺さんが一人でやっているような雑貨店で、レアル硬貨を掴ませようなどとケチでさもしい馬鹿げた悪事は試さないほうが身のためである。

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これは下着か、いや危ないものか

勝負用?それとも実用?超セクシーな“貼る”パンティー
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140918-00010008-dime-prod

「はかないパンティー」がイタリアより日本上陸という話である。

記事の写真を注視すると、へその左側の腰のあたりに透明なシリコンの帯があって、それが前張りを支えているようで、見えないだけで普通のfio dentalという「はくパンティー」の一種ではないだろうかと見えるのだが、そうではないのか。

「はかないパンティー」の動画が見つかった。

これを見ると、透明なシリコンの帯などはないようだ。

フィオ・デンタルとは、日本語で言うと、記事内にある「Tバック」あるいは「紐パン」を意味するブラジル・ポルトガル語である。
ポルトガルでこの用法があるかどうか不明なので、ブラジル・ポルトガル語としておく。
何しろ、フィオ・デンタルの原義は「歯の糸」つまりデンタルフロスであるからだ。

http://www.google.com.br
で”fio dental”を検索すると、一番上はさすがにColgate コルゲート、ご存じ歯磨きの会社だが、2番め、3番めにはさっそくLingerie – Moda Íntima(ランジェリー – 肌着)の店のショーケースが現れる。

イタリアより上陸というが、本当に左右の腰骨に支えの全くない、力学的にきわめて不安定と思われる原型は、ブラジルではカーニバルでおなじみだ。

こういうのならブラジルに任せなさい!
ということで、単純にリンクを載せよう。

https://www.google.com.br/search?q=tapa-sexo

出てきたページの検索語ボックスの下にある、”Imagens”をクリックすれば画像がたくさん出てくるので、どんなものかよく分かる。
多少閲覧注意気味であるので人通りに気をつけて。

検索語は”tapa-sexo”
一応語義など説明しておく。
ハイフンがあったりなかったりするが、複合語であるので、ハイフンを付けておく。
guarda-chuva = 雨から守る => 傘
guarda-roupa = 服をしまう => たんす
といった用法だ。

tapa-sexo = セクスを隠す => 陰部隠し、秘所覆い
となるのだが、訳語はいかがか。
よく使われる単語なら「前張り」である。
下品であることは否めないが、原語だって下品だし、ものがものだ、しかたない。

最初に引用した記事にはもうひとつ突っ込みどころがある。
「ちなみに、男性は使用できない。念のため。」

男性が使用できない理由は、物理的スペースの問題だろうか、それとも社会通念上の問題だろうか。
念のためと明記しておかないと、これを着てみたいという男性が続出する心配があるのだろうか。

tapa-sexoの画像の中に散見されるように、ひとつ突き抜けた世界のもののようだが、形状の違う男性用は存在する。

三才児よ、君はどの音を聞く

2014年9月の一ヶ月間は、第二の開局をめざすクラシック音楽のインターネットラジオ局
OTTAVA(オッターヴァ)
の試験放送が、日本標準時の午後7時から9時、ブラジリア標準時では午前7時から9時と、ちょうど12時間遅れの時差で聞くことができる。

最初の週は新しい機材でおっかなびっくりだったのであろう。
パソコンのボリュームスライダーを最大にあげても、貧弱な内蔵スピーカでは耳を近づけてようやく聞こえるような音量なので、庭で犬が吠えたり、斜め上空にある着陸航路を降下中の飛行機が通過したりすると、もうなんだかわからなくなる。

ヘッドフォンはワイヤードなので、じっくり聞こうと思ったらパソコンから離れられない、これぞ聞きたいタイミングで悪運と遭遇すると、便意と格闘という情けない状態になったりする。
Bluetoothのヘッドフォンやスピーカーなど購入する手もあるのだが、即効薬はない。

第二週になるとたゆまぬシステムの改良、機材の調整も進んだのだろう。
音圧がほかのインターネットラジオ局とだいたい同じくらいになったので、チャンネルを換えるときにあわててボリュームスライダーをいじることが少なくなった。

そういった送出音圧と音質の調整場面において、プレゼンター/ディレクターである斎藤茂氏がある日、
「今日は聞こえるでしょうか、専門的なことですが、コンプレスをかけました」
コンプレスだったかコンプレッションだったかよく思い出せないが、まあどっちでも良い。
要するに送出出力において、最大音圧と最小音圧の差を小さくなるように圧縮しているのだ。
やはり様々に異なる条件のもとで聴取しているすべてのリスナーの、可聴条件の最大公約数をとるとなると、録音された音源に何らかの加工を施さなければならないのだろう。

ダイナミック・レンジ、つまりピアニシモとフォルテシモの差が大きいクラシック音楽では、聞き方や聞く場所を選ぶものである。

私の頭で想像できる理想的環境は、犬が吠えたり飛行機が通過したりの雑音から遮音され、静音の空調装置が温度湿度を完全に制御したオーディオ専門ルームで、オーディオシステムを前にして、ロッキング・チェアとかソファでくつろぎながら聞くことであるが、かなりの人に同調してもらえるだろう。
これにはまあ人によっては、立ち上がらなくても手の届くところにビール満載の冷蔵庫や、その日の気分で選べるだけのコレクションの揃ったワインセラーや、ウィスキーボトル数本がのっかったワゴンとかが絶対欠かせないと言うかもしれない。
こんな理想的オーディオルームなら、何の手も加えずにダイナミックレンジ最大にしたままの音源でも聞こえなかったりビリビリ割れたりすることなく、快適に聞こえることだろう。

しかしこの理想的環境は、サイフの体力不足の人や、移動中にスマホなどで聴取している人に不可能であるだけでなく、全然肉体に負荷を与えずメタボ養成に最適の条件であるうえに、環境維持のためにかなり電気エネルギーを使うので、ヘルスとかエコとかロハスとかを信条にしている人には耐えられないかもしれない。

いつも疑問に思いながら誰に質問してよいかわからないことがある。
といってもインターネットの知恵袋にようなところへ投げるほどのものでもない。

昔くだんのOttavaで、正式名は忘れたが、「ペットと聞くクラシック」というのがあった。
犬猫だけでなく、インコでもニワトリでもハムスターでもイグアナでもなんでも良いのだが、ペットが喜ぶクラシックは何かという、正解を教えてよとペットに質問しても決して答えの帰ってこない難問であった。

「子犬のワルツ」や「ワルツを踊る猫」を聞かせると、この永遠の三歳児どもが「あー僕たちの曲をかけてくれた」と言って喜ぶわけではない。
犬や猫は確か高音成分の多いモーツアルトの曲によく反応する、と言われていた。
よく反応すると言っても、喜んでいるのか怒っているのか傍目にわかるものだろうか、まあ飼い主にはちゃんとわかっているのだろう。

動物の感覚は人のものとは異なる。
当然だ。
犬は通りの車のエンジン音を聞いて、誰が来たかわかって好きな人だと喜ぶ。
腕の良いメカニックもエンジン音を聞いてその好不調を判断できるとは思うが。

うるさい若者避けに、モスキート音という高音域を使うという話を聞いたことがある。
老人と若者の可聴周波数域は異なるということだ。
イヌの可聴周波数はヒトのものより高いという。
そうすると、2万ヘルツより高い、ヒトに聞こえない音、私たちが超音波と呼ぶ領域を聞いているはずだ。

録音再生技術がいくら優れていても、ヒトに全く聞こえない周波数まで録音媒体にすべて記録することなどありえない。
逆に、デジタルオーディオ技術は、そんな普通の人には聞こえないため無駄な音声情報を削除することによって、ファイル容量を小さくしている。
そうすると、盲導犬以外そんな機会はないと思うが、犬をオーケストラの前に連れて行って聞かせる音、アナログレコードを聞かせる音、デジタルCDを聞かせる音、犬にとっては全然別な音に聞こえているのではないか。

だからいつもインターネットラジオの音声をヒト以外の動物に聞かせて、どんな反応をするか観察しようとしても、彼らにとって大好きな、あるいは大嫌いな周波数帯の音がバッサリ切られている可能性はある。
犬猫をコンサートホールへ無理やり連れて行って、周波数カット無しの生音オーケストラやソプラノの肉声を聞かせたらどんなに喜ぶか、あるいは怒ったり怯えたりするか想像だにできない。

牛舎でクラシック音楽、それもモーツァルトをかけると乳牛の乳の出が良くなると言われている。
これも高音域の影響だろうか。
CD音源をスピーカーで流すのではなく、オーケストラは人数が多すぎるからカルテットのような室内楽団に牛舎で生演奏してもらったらどうなるだろうか。
高音域に集中するなら、バイオリニスト一人に来てもらっても良いかもしれない。
牛乳生産が劇的に増加してミュージシャンのギャラを支払ってなおまだお釣りが来る、なんて想像するが、さすがにこれはないだろう。

私も犬猫並みの広い可聴周波数域を持っている、サイフ容量も大きい、だからどんな環境でも聞きやすいように加工された音源でなく、できるだけオリジナル音源に近いものがほしい、という向きには、Ottavaで近い将来利用可能となる有料高音質チャンネルに期待したいものである。

複数の聴取環境、例えば家では上に書いたようなオーディオルーム、職場では役員室デスクの小型スピーカー、通勤は光岡ビュートのOttava特別仕様カーオーディオシステム、出張時にはiPhoneにノイズキャンセルヘッドフォンといったようなケースがあるだろう。
もちろん私の勝手な想像だ。

高音質チャンネルには専用イコライザーをつけて各環境で最適の設定をしてセーブして、各環境で好みの設定を使えるようになる、となったら便利でマニア心をくすぐりそうだが、技術的にかなり複雑になりそうな気がする。

そこまで音質を極めない人は、相対的低ビットレートの無料チャンネルならば、ペットと一緒に聞いていても、この気まぐれな永遠の三歳児どもが急に暴れだして困ることはあるまい。

2017年2月25日追加

その後
OTTAVA(オッターヴァ)
の高音質化は、勝手な予想と少しだけ違う方向へ進んだ。

当初高音質化として供用したニコニコ動画は、運用の仕組みのため、聴取者の多いときには帯域に合わせる調整が行われて、音質の低下が起きるらしい。
双方向性コミュニケーションとオンデマンドに存在意義を見いだす。

一方で、PrimeSeatとの同時放送では、最高でDSD 5.6MHz、別の表記をするとDSD128、つまりCDの128倍の精度で、無料で聴取することが可能になっている。

残念ながら当方の環境では、PrimeSeatが推薦する環境パラメータの、安定通信速度12Mbpsがネックになっていて、デジタル・アナログコンバーターがあったとしても、本来送出されるハイレゾリューションを楽しむことができない。

ハイレゾ音源をハイレゾ対応オーディオで、生楽器と同じ音量で再生して、ペットに聞かせたときの反応を知りたいものである。

女子高生フィルター

何日か前に見てメモしてあったのを公表したい。

危なげなゲームについての記事があって、グーグル翻訳にかけたらすごい。
なぜ翻訳したかって?
ゲームがいかにも日本的に見えたから、こういうのを翻訳するとどうなるのか、という単純な疑問からである。
グーグルのトップレベルドメインがブラジルのbrであるが、どこであっても関係ないだろう。

https://translate.google.com.br/#ja/en/%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%AA%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%81%A8%E8%A7%A6%E3%82%8C%E3%81%82%E3%81%88%E3%82%8B%E6%AC%A1%E4%B8%96%E4%BB%A3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%80%8C%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%80%8D%E3%80%81%E2%80%9C%E6%83%B3%E5%AE%9A%E3%82%92%E9%81%99%E3%81%8B%E3%81%AB%E8%B6%85%E3%81%88%E3%82%8B%E5%8F%8D%E9%9F%BF%E2%80%9D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%81%A7%E3%81%AE%E8%A9%A6%E9%81%8A%E3%82%92%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%81%AB

[入力した日本語原文]
リアルな女子高生と触れあえる次世代バーチャルゲーム「サマーレッスン」、“想定を遙かに超える反響”により東京ゲームショウでの試遊を中止に
[読み方をローマ字で]
Riaruna mesukōsei to fureaeru jisedai bācharugēmu `samāressun’,“sōtei o Haruka ni koeru hankyō” ni yori Tōkyō gēmushou de no shiyū o chūshi ni
「めすこうせい」って何だ。
[原文を英訳]
To stop 試遊 in Tokyo Game Show by “echo far beyond the expected” and schoolgirl real Fureaeru next-generation virtual game “Summer lessons”,
「Fureaeru」は大文字で始まっているから「めすこうせい」の名前と解釈されたのだろう。
日本語ですごいのは、初めて見た「試遊」なんて同音異義語の多そうな単語も意味は一目瞭然であることだ。
漢字の特徴であるから、きっと中国語も同様だろう。
だから「試遊」は、読みは多分合っているのに律儀な機械にとっては翻訳不能なのか。

そこで簡単な実験をしてみた。

[日本語原文]女子高生 -> [読み方をローマ字で]Mesukōsei -> [英訳]High school girls
[日本語原文]女子 -> [読み方をローマ字で]Joshi -> [英訳]The girls

隠された事実を勝手に想像してみる。

実は、「女子高生」は取り扱い注意語なのである。
通常女子高生は未成年者であることが関係しているのだろう。
この語が入力されると危険物取扱フィルターがかかって、すけべな好奇心旺盛で日本語を勉強中の外国人の目から、「じょしこうせい」という正しい発音を隠匿している。
魅力的で脆い「じょしこうせい」という日本特有種を、変態外国人の毒牙から守ろうとする試みだろう。
それにしても、「女子」を「メス」と読ませるのは飛躍し過ぎではないか。
考え過ぎだろうか。
多分考え過ぎだろう。

ソニーのプレイステーションには「ぼくのなつやすみ」というシリーズがあって、子供が夏休みに田舎で一夏を過ごして少し大人に近づくという、仮想空間の少し切ないストーリーなのだが、取扱要注意の「女子高生」が登場する「サマーレッスン」は、このアダルト版ということで良いのだろうか?

英語を話すと計算下手になるぞ

タイトルは大げさ過ぎるが、そのわけは最後にわかる。

英語は「算数に不向き」 日本語など有利と米紙が分析記事 2014/9/11 10:25
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG1100D_R10C14A9CR0000/

上記記事にある例を上げてみる。

「11」は英語では「イレブン」というひとつの単語だが、日本語、中国語、韓国語、トルコ語などでは「10と1」で表す。
なるほど、これは直感的にわかりやすい。

英語で「17」は「セブンティーン」で、「7」を表す「セブン」が語頭にあるため、子供たちは「71」と取り違えやすいという研究結果がある。
そんな馬鹿な。
しかしこの点では、ポルトガル語は有利だ。
下に比較表を入れてみよう。

日本語 português English
um one
dois two
três three
quatro four
cinco five
seis six
sete seven
oito eight
nove nine
dez ten
十一 onze eleven
十二 doze twelve
十三 treze thirteen
十四 quatorze fourteen
十五 quinze fifteen
十六 dezesseis sixteen
十七 dezessete seventeen
十八 dezoito eighteen
十九 dezenove nineteen
二十 vinte twenty

確かに日本語が最も論理的に、二桁の数のしくみ、つまり例えば「11は10プラス1」に忠実に従っている。

ポルトガル語の数字のしくみをみると、十五進法なのか?と思ってしまうが、英語と異なるのは16から19までで、10(dez) e 7(sete)と、十の位が先になるから、英語圏の子供のように、17を71と取り違えるということはないだろう。
その点、ポルトガル語は英語より有利なはずだ。

英語はほぼ確実に十二進法のようで、13から十進法の繰り返しが登場するが、記事に指摘してあるように、10(teen)と7(seven)が逆転してしまう。

九九を覚えるのに日本語では、例えば、ににんがしにさんがろくにしがはち、といったようにお経か歌のように軽快に記憶することができるのは、日本人一般の計算力の高さに貢献しているかもしれない。

ブラジルでもお釣りの渡し方は、例えば3レアル75センターボの買い物で5レアル出したとき、店員はお釣りを渡しながら、
80, 90, 4レアル、5レアル
と勘定する。
引き算が苦手かどうかはわからないが、足し算のみで解決しようとする。
しかしこの場合など、引き算を知らなくても困ることはない。

だからといって、英語圏の人達に優秀な数学者がいないかというと事実は全く逆の気がする。
記事にあるように、子供の計算能力にとっては、英語は多少ハンディがあるかも知れないが、こんな欠点などすぐに慣れるものだ。
そんな初歩の段階の言語の欠点を乗り越えたならば、論理で構成される数学にとって、論理的な言語であるほど有利になっていくだろう。
引用した記事でも、「子供が算数を学ぶ上では不向き」と限定付きの肯定になっている。
「学者が数学思考するのに不向き」かどうかは記事には書いてない。

とにかく、「英語を話すと貧乏になる」というわけのわからないショッキングな命題と比べて、今回のはインパクトが小さいのが残念だ。

カタランについて語らん

今日はあの9.11、日本語ならキュウテンイチイチ、ポルトガル語で言えば普通にonze de setembroから13年目の記念日である。
あの頃から比べて世界はより平和になったかというとそんなことはなく、オサマ・ビン・ラディンなき今日には、IS などという新たな脅威が、これもポルトガル語では語順が逆でestado islamicoとなるが、勃発しており、憎しみの連鎖とはたやすく消えるものでないと実感させられる。

それはともかく、今朝Ottava試験放送を聞いていたら、バルセロナ(Barcelona)にお住まいのゆかさんだったと思うが、9月11日は「カタルーニャの日」でもあると言っていた。
ポルトガル語でカタルーニャ Catalunhaの形容詞形はcatalão、カタラン(あるいはカタロン)というが、カタルーニャについて語るのにカタランとは、なんてくだらないことを言っていると、かのOttavaプレゼンター本田聖嗣氏、ダジャレ好きのピアニストに馬鹿にされそうである。

先月末スペイン留学から帰ってきた姪が、数日前、家に寄っていった。

カタルーニャ州のタラゴナ(Tarragona)は、州の最大都市で知名度も最大のバルセロナから西方へ約80キロ位にある。
東京から小田原くらいの距離だ。
ローマ帝国時代からの古い歴史のある街で、水道橋、円形劇場などその時代の遺跡は、2000年にタラゴナの考古遺跡群としてユネスコの世界遺産に登録された、とWikipediaに書いてある。
姪は観光に行ったのではなく、タラゴナの大学に1年間留学をしていた。

ブラジルとカタルーニャでの授業の難易度は、予想外に向こうのほうが、スケジュールに余裕があったようで、授業は相対的に楽だったと言った。
また予想外であるが、苦労したのは言語だったという。
彼女が悩まされたのはスペイン語ではなく、カタルーニャ語である。
カタルーニャはスペインの一部ではないか?という声が聞こえそうなので、ここではスペイン語(es. español)と呼ばず、スペイン中心部カスティーリャ地方の言語、カスティーリャ語つまりカステリャーノ(es. castellano)と呼んでおこう。
そう、「日本」の形容詞形es. japonésが、同時に「日本語」を意味するように、カタルーニャの形容詞形es. Catalánは、カタルーニャ語のことだ。
今度こそ、カタランについて語らん。

日常会話とか学校の授業までカタランが使われるので、最初の頃は何を言っているのかよくわからず、カステリャーノに言い換えてもらったそうだ。
そのうち慣れてきてだんだん話すことがわかるようになってきたというが、流暢に話せるようにはならなかったという。
「だって、カタランってあの辺でしか話さないでしょう」と彼女は言ったが、まあそんなものだろう。

カタルーニャ語の話者は約322万人(2005年)、大阪市人口266.5万 (2010年)より多い。
けっこういるものだが、話される地域は、スペイン東岸からフランスの国境付近の地中海沿岸部の一地域にまとまっている。
関東の人間が関西の大学に入って、コテコテの関西弁がわかるようになっても、だからといって話せるようになるわけでない。
大阪とか京都とかより狭く区切ればなおさら違いにうるさい関西弁であるが、あの辺でしか話さない言語をうまく話せるようになるのは労多く益少ないのと同じようなものだろう。

方言レベルと言語レベルの違いがあるではないかと言うが、カスティーリャ語、ポルトガル語、カタルーニャ語の違いなどは日本のある地方の方言と共通語の違いより小さいと思ったりするのだが、どうだろうか。
イベリア半島の地図をみると、真ん中にでんと居座るスペインであるが、カスティーリャと付随する地方を中心とすると、西側の一片はポルトガル語を話すポルトガル、東側の一片がカタルーニャ語を話すカタルーニャとバレンシア、北側にはバスク語のバスクと、カスティーリャ語以外の言語を使う地帯に囲まれれている。

今日11日からちょうど一週間後の2014年9月18日には、スコットランドの連合王国からの独立の賛否を問う国民投票が行われる。
どうもこれまでと様相が異なり、独立推進が過半数を取りそうになっているので、中央政府はスコットランド詣でに慌てふためいている最中だ。

バスクは最近は平静になっているようだが、過激な独立運動がよく起きたし、カタルーニャもカスティーリャを中心とする(こう呼んでよいかわからないが)スペイン本体に、フットボールでのブラジルとアルゼンチンに匹敵する強烈な対抗意識を持つ。

連合王国内だけでなく、ヨーロッパ各地にあるこれら独立の意気軒昂な地方は、18日の結果次第では大きな独立の波を引き起こす可能性があり、成り行きが注目される。

スペイン語は赤ちゃん言葉、なわけがない

昨夜、新生ブラジル・セレソンの対コロンビア親善試合があった。

夜、外出から、そろそろ深夜12時に近いころ帰ってきて、ああ今夜ブラジルの試合があった、と思い出してテレビをつけたら、後半42分位だったと思う。
それまで緊迫の守り合いか、気の抜けたダレ試合かはわからなかったが、0-0のスコアから、ワールドカップブラジル大会コロンビア戦で骨折したブラジル唯一のスター、ネイマールの因縁のフリーキックで、コロンビアの壁の上空をクリアしたボールはコロンビアゴールの右上隅に突き刺さった。
再登場のDunga監督とか、昔の名前で出ています状態のRobinhoとかのため、新生セレソン・ブラジレイラという気分には遠いのではあるが、再起に向け、着実なスタートを切った。

さて、日本ではどうかというと、
アギーレ監督激怒!長友&本田にも容赦なし「もう忘れたのか」
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/09/08/kiji/K20140908008891030.html
を見た。

しかし、この記事は惜しい表現がある。

「練習中は「バババ(行け)」「べべべ(見ろ)」。
絶えずスペイン語で大声の指示が飛ぶ」

メキシコ人監督であるから、スペイン語を話して当然だ。
でもこれは、
Va! Va! Va!
Ve! Ve! Ve!
だろうから、
「バババ(行け、行け、行け)」
「べべべ(見ろ、見ろ、見ろ)」
と書いてくれないと、
バババ = 行け
べべべ = 見ろ
何だ、スペイン語は赤ん坊言葉ではないかと勘違いする人が出そうである。

さて、確か二代前のの日本代表監督はブラジル人のジッコ、この名前もZicoであるからズイッコといったほうが原語に近いと思う。
日本人にとってジッコのインタビューは、「アシュケー」が印象に残っているようだったが、これは当然
“Acho que …” = “I think that …”
で、使用頻度の高い表現である。

しかし、彼が監督の時代には、アギーレ風に、でもスペイン語ではなくポルトガル語で、
Vai! Vai! Vai!
とか
Vê! Vê! Vê!
とか、ただの一回も叫ばなかったのだろうか。

それとも、日本人は元監督の口癖を、「もう忘れたのか」